ショウガとニンニクとワサビ

よくあるひっそりと書くやつ

動くこと雷霆の如し

春休みはとことん遊びました。人それぞれ付き合う友達といつ知り合ったかは違いますが、僕は中学生の時の友達と今でも良く会います。休みの期間は週2〜3ペースで会いました。高校の友達は本当に仲が良かった二人はたまに会います。ですが、今の大学の友達は一緒にいて楽しいですが、多分大学を出たらもう会わないのではないかと思ってます。その違いを考えた時、中身のある話で繋がっていた人ほど付き合いが長いことに気付きました。中身のない話はもちろん悪いことではないですし、人間関係を円滑にする要素の一つですが、僕のような自己中な人には長引くと顔に出るくらい面倒になってしまいます笑

二つ目の幸せは中学の友達から始まる行動の話です。

 

高校時代、捻くれてたせいか学校に友達は少なく(学内で話すくらいの友達はいましたが)中学の友達二人とよく遊んでました。多い時は週一で会うくらい。あれ?大学入ってからも変わっていなかったような…??まあ、それは置いておいて笑

年が明けて成人式がありました。正直行こうと思ってませんでした笑理由は袴を着て改造バイクに乗ったヤツが外で五月蝿くしてる中、体育館で知らんおじさんの話を聞くためにアクセスが微妙なところへ行くのも気が乗らないってだけです笑

行った理由は誘われたから行きました笑

 

そこで一人の中学の同級生に再開しました。そして高校時代一緒にいた中学の友人の輪に入り今でも良く絡みます。お互いに成人式様様とよく言ってます笑

バイトばかりしてあっという間に過ぎた2月に比べて3月は何倍も長く感じました。

確かに多くのことをしながら長い時間を一緒に過ごしましたが、何故ここまで長く楽しい時間がこれまでになかったのか?と疑問に感じました。楽しい事自体はこれまでに色々ありましたが、それとはまた別の話です。

 

答えは単純、自分から動いたからでした。

思い返せば彼を引き入れたのも、3月中に色々計画して遊んだのも殆ど自分の発案でした。昔学校の友達と遊ぶ時、毎回自分が居たかと言われるとそうではありませんでした。後から話を聞いて自分もその時居たかったなー、話に混ざりたいなー、って。誰かに誘われるのを待っているだけの面白くない人は誘われなくて当然じゃね?という結論に今だからこそ落ち着くことが出来ました。

周りに先頭に立って面白いことを考えて引っ張ってくれるリトバスの恭介のような人は滅多にいません。敷かれたレールの上を歩くのは簡単だが、レールを敷くのは難しい。けれども誰もが羨むレールは引けなくても、自分と一緒にいてくれる仲間の為の小さなレールなら多分誰だって引くことができるはず。それをした結果少なくとも自分はその過去をいい時間だったと、仲間はその時間は楽しかったと言ってくれました。

 

以前の話で大学をサボっていたと書きましたが、宿題とかはいいからとりあえず行くをしてこのGW明けは五月病にならずに戻ることができました笑

動くか待つかなら動いた方が良い方に動く事が多い事に今更ながら気が付きました。たとえ悪い方に動いたとしても、それを解決しようとまた動きそれは糧となる。

半年ほど前に自分の人生経験の無さに悩んだことがありました(前回書いた生放送での相談がこれですね)。それはこれまで自分で試行錯誤を繰り返し動いてきた結果であり、自分の後悔する人生経験の無さは依存してきた結果でした。

 

ですがそれを悔やむより今を楽しみ経験を積むことに気持ちが向いていて1歩ずつ進んでいるように思えます。この歳でまだ遅いなんて言うのは早すぎますね笑

本当に欲しいものは簡単には手に入らない、ならば進むだけです。これからもどんどんアクションを起こしていきたいです。

 

今回はこの辺でサラダバー🥗